Profile
ガットギターで演奏するシンガーソングライター
1972年/東京生まれ/現在横浜在住
2004年以後精力的にLiveハウスの活動をするが全国のリスナーさんを獲得するために2020年すごろく旅で日本全国の人に出会う旅に挑戦中
どんな秘境や島でも景色をバックに生演奏、また個人宅にお邪魔してなど数々のキセキは他に類をみない
■活動歴■
2023年
愛媛県内子のゲストハウス「内子晴れ」での出会いから、一つのショックを感じ心に決めたようにガムシャラに走り抜けました。
直島への訪問や、針木岳へのギターを担いで登山への挑戦
ミュージシャン仲間のharvestの阿部くんのところの農業体験
すごろく旅で出会った斜里の島田さんのところへの農業体験
また、仙台から双六の駒を増やすことを思い立ち、白石や釜石での出会いで、どんどん音楽を聴いてくれる人と出会っていきました。
そんな中、通関士の試験は惜しくも失敗に。
本当に悔しかった。
色々なことを考えさせられました。
でもやはり、今を大切にできることは全て全力でやることに決めました。
2024年の20周年はLive活動をどんどんやっていきます。
2022年
1人日本一周旅に出かけて、各地でたくさんの出会いがあった。
10月には「かなっくホール」でドネーションの生音ワンマンを企画し、蓋を開けてみると、地元のそうそうたる人が観にきてくれました。
いつも留守にしているのに幸せな瞬間でした。
今後はバランスよく自分が突き進んだ道をしっかりと、時には転んでも立ち上がり進んでいきたいと思います。
地元の仲間の笑顔、帰ってくる事ができる幸せ。
帰るところがあるから旅に出かけるチャレンジができるのだから!
2021年
年間通して出来ることをうやろうと、様々な挑戦を挑むが、どれもしっくり来ず、引きこもる。
コロナ禍なのでじっとしているのは良いが、家族と過ごす貴重な時間だ!と、自分に言い聞かせて過ごしていた。
自分では気づかないうちに何もやる気の起きない人になっており、ついに、日本一周を再開することを年末に決意。
挑戦していることを途中で断念。
それを再開できる喜びに、気づきました。
自分の心に正直に向き合って決めたことは、面白くついつい夢中になってしまいます。
新たな音楽の届け方として、この日本一周は必ず僕の人生には必要だ!と確信しています。
2020年
日本一周に挑んだが、コロナで挑戦を一旦見送る。
横浜にプライベートスタジオcoupler cage studioをオープン。
「音籠」など、スタジオからサウンドをお届けするコンテンツ作りにシフトする。
コロナが落ち着き、緊急事態宣言が解除され、今度は、人とふれあわない全国の旅を模索し試みたが、年末に二度目の緊急事態宣言の為再び、スタジオ内の挑みを2021年初めに再開
世界にとって、かつて無いほどの混乱を招いた2020年。
オリンピック、フジロック、あらゆるイベントが中止になり、あらゆる人がピンチになってしまいました。
僕としても、シフトチェンジの連続で、人とのふれあいが出来ないからこその大切な繋がりを感じる年となりました。
会いに行けないなら、手紙で。
会えないからこそ出来る事。
大好きな奥さんがいて、子供たちも自立しているし。
今は、一生懸命働き、身体を壊さないように注意することが大切だと思います。
みんな!どうかご無事で!
僕も、いい音を届けられるよう精進します。
2019年
ホールワンマン挑戦を一旦おやすみ。
Live企画やツアーで全国的に演奏に出かける
ベストアルバム「15anniversary Best」リリース
遠征は、知床、旭川、稚内、名寄、苫小牧、越喜来、九十九里、いわき、前橋、小田原、山形、酒田、新潟、浦佐、栗原、新開地、仙台、水戸、茂木、勝田、中津川、明智、野木、心斎橋、喜多方、郡山、周南、岩国、広島、大阪、鳥取、岡山
全国あらゆるところに行かせて頂きました。
そして、いろんな人に会いに行きました。
音楽での成功という部分では申し分ないのかもしれませんが、どうしても引っかかる部分が取れません。
『何のために音楽をやるのか?』
人に会いにいくうちに、その瞬間の出来事が尊い事に気付きました。
そして本格的に日本一周を今すぐに始めないと!という、新たな挑戦への気持ちが高まりました。
音楽は、人、時間、自然、全てのものから出来上がる可能性を感じたので、
日本一周をしながら、音楽制作をし、出会った人に生演奏をプレゼントするような企画の日本一周を考え始め、2020年から始めようと決断しました。
「日本一周」特設サイト
https://daigolow.com/n1ns/
2018年
ホールワンマン挑戦をしていて、周りに素敵な人が集まってくれるようになりました。
ホールワンマン第二弾開催。
ぱんちょマンとツーマンLive
「ガット馬鹿り」開催。
遠征は、知床、旭川、沖縄、新潟、東北、関西、松山、三重と行かせていただきました。
越喜来サマーフェス参加
年末に、冬の北海道一周ツアーを鉄道で行う。
この年もワンマンに向けて駆け抜けましたが、やはり忙しく飛び周ってます!
全国あらゆるところに行かせて頂きました。
年が終わる最後の北海道一周ツアーで、またね!は、無いかも知れないという、人の繋がりの儚さを学び2019年の方針を大きく変化させました。
2017年
武道館公演を目指し、一年目の挑戦が始まる
年末に250人収容のホールワンマンライブを大井町きゅりあんで開催
一年間、単独でコツコツとチケットを売って131人のご来場となる。
本人としては新記録となったが同時に、さらなる目標に向かいビシッと気合いを入れ直す。
ワンマンに向けて一本!
と、やってみると、結局たくさんの人と会いにあちらこちらに飛び回ってます!
集客に追われる事はなく、楽しく毎日を過ごしている!
大きな目標を持つって本当に良いと思いました!
2016年
全国どさまわり、全国ツアーと連動して「うた旅」開始
夏に北海道一周ツアーを13日かけて汽車で回ることに成功
その他、山口、名古屋、新潟などのツアーを行う。
関東のほか、神戸、新潟、東松島、いわきなどの各地フェスに参加。
-Album- bird forest リリース
出会いの多い年になりました。
全国ツアーも出来、行ってない場所は、沖縄だけとなりました。
各地の皆様!本当にお世話になってます!
パフォーマンスの成長も凄まじい違いを自分でも感じています。
2015年
U;taとの共同野外企画イベント「うたろうフェス」開催。
京都祇園cafeGreen 沖島ひろや氏とのジョイントLiveゲスト風景師Rio。
秋葉原Eggman tokyo eastでDai-Go!Low happy LIVE
20th Wedding Anniversary「距離感」 開催。
夏ツアー決行全国どさまわり、「うた旅」開始
ハッピーを届けたい!
と、結婚20周年パーティーとLiveを合体させて、結婚式を改めてeggman eastにて行いました。
帰る場所があり、充実していたので、、
また、旅企画をやりたくなったんです。
のちに色んな地域の人に会いに行く事となりました。
2014年
活動10年目を向かえる
配信を中心に毎週楽曲制作など精力的に作品を作る
-二枚組Album- week 1 output リリース
全国ツアー「夏だ!ひまわりツアー」
「冬の北海道ツアー電車で行くのです」決行
家庭の事情(娘がストーカーにあってしまい)で表に出れなくなり、とにかく毎週曲作りをしていました。
こもって作業も実は、生放送のおかげで発信できていて、
こもっていないかのようでした。リスナーのみんなに感謝です。
娘のことも落ち着き、ツアーが出来た時は、嬉しくて散歩が待ちどうしかったワンちゃんのように無駄に走ってましたw
2013年
活動9年目を記念してすべての音源を撮り直しハイクオリティーCDとしてリリース
春、夏と路上演奏の旅を決行。陸前高田、大船渡に行く。
strider capのテーマソングArena of Strider Games発表
-Album- 「On a favorite hill」リリース
レコ発Liveを原市アースカフェ(現在の北上尾T’sPal)で開催。
満席、広い駐車場が満杯になるなど、お店の快挙をなしとげる大盛況。
Official Funsiteをファンクラブ京都支部「トモ蔵」氏が作成
レコーディング機材の工夫がうまくいき、作業がはかどりました。
音に凝りに凝った時期でもあり、予算をかけずにハイクオリティーのCDを作ることに成功した時は、研究者の気持ちでした。
この年も出会いに恵まれた一年でした。
2012年
名古屋弾丸ツアー。ゲストU;taのkero
-Album- 「Internet trip」リリース現在は幻のアルバムとして発売されていない。
北海道3都市ツアーで初の北海道へ。帯広、札幌、函館を訪れる。
ツイートキャスティングで知り合った仲間が増え始め、ネットの中の人とたわむれる。
仕事は安定するもストレスの多い状況に、気質が荒い時期に入り込んでしまう。
何に対しても否定的でこの時期に失ったものも多かったろう。
この頃から、信用の大切さを本格的に考える。
2011年
「日本全国路上演奏の旅」を決行しながらも、震災により中断。地元での活動、生活を優先させながら生音路上演奏を続ける。
フェスぐるぐる回る2011@さいたまスタジアム出演。
ツイートキャスティングでの路上中継など、新たなアプローチが開始。
スタッフとして手伝いなど人に尽くすことが良いと思っていた時期。
仲良くしていただいたレーベル「ブルンストーン」の社長、竹内知司氏が亡くなったり、震災があったりと、
辛い時期でもありました。
今でもこの時期を胸に刻んで音楽シーンにいます。
2010年
小田原FM 「 久保田美華のHello!Hello!!Hello!!! 」ゲスト出演
8月8日TBS系 MusicBirth+(ミュージックバース)に「ゴールドライセンス」が放送される。
Musicman-NETの「ミュージックもん」に「Head」が取り上げられる。
音楽の活動としてはさほど動いていなかったにもかかわらず、TBSの取材の電話が。
ADさんの人柄が好きになり出演したものの、一般コメンテーターにボロクソに言われるw
音楽活動で、少しふてくされていたり、人から支持されるにはまだまだガキだった時期。
この頃の知人が今でも僕の周りにいてくれる。仲間に感謝です。
2009年
廃校フェス’09出演。
「大森まちづくりカフェ」フリーペーパーに掲載 記事はこちら
大森クリーンCreative祭!’09企画開催、「竹内 紀」氏に大森が音楽であふれニューヨークみたいだ!と評価される。
大森カフェパーチェでワンマンLive。
-Album- Moving driveリリース。現在は発売されていないアルバム。
地域活動やフェスのお手伝いなど、どんどんやっていました。
写真のように家族の参加も増えてきて、フォトグラファーの井出さんに長細い写真をオファーしました。
トラックをモチーフにしたジャケットアルバムMoving driveを社内の人間(ドライバー)の嫌がらせでライターで火を付けることが起きてしまう。
クリーン活動も何故か?批判が多く、やめる決断をしました。
この後も「いがらしのぶはるくん」のお父さん「五十嵐志朗さん」と、花と緑のまちづくりの「藤沢さん」は継続してクリーン活動をやり続けてくれました。
2008年
お茶の水KAKADOでワンマンLive
大森クリーンプロジェクトを立ち上げ地元大森駅前を個人で使用許可を取り大森クリーンCreative祭!’08企画開催。
かつしかFM「ともやの今夜もLOVEしてる」ゲスト出演
家族に相談して、駅前のゴミ拾いをやり始め、それに賛同してくれたミュージシャンが集まり、ゴミ拾いを中心にした野外コンサート「大森クリーンCreative祭!’08」を開催できました。
2019年の今の僕が思うに、この頃から今も変わらないのは、人の為に何ができるか?を考えて居たんだなーと、改めて過去の自分の情熱に勇気をもらえる出来事です。
家族が今もいい距離感なのはこの時の経験が大きいと感じてますし、当時の成功も失敗も今の自分の柱になることばかり。
行動することの大切さを学びました。
2007年
地元でクリーン活動を始める。
大森風に吹かれてでアートLive企画主催。
「風に吹かれて」にて映画「ワンカラット」みかわこうじ監督作品を上映。
Live History2006~2007リリース。
これが一年間で300枚売れた有料版CD。
現在は発売されていない。
Liveで対バンしたミュージシャンと仲良くなり、いろんなことをやっていきました。
CDを作るのに相当苦労していた時期でもあり、Live音源をまとめたCDを作りました。
地元貢献に燃えていたからこそ、出来たことが沢山あります。
僕が出来たことなんて微力ですが、人の協力が集まっていく事に物凄いPowerを感じました。
2006年
神川圭司氏と、かざきなおさんの協力で大森居酒屋正助市場お座敷Live企画。
大森東口商店会の協力のもとBar、ギタースクール、アーティスト仲間を呼び、商店街主催イルミネーション点灯式に音楽フェスを取り入れる。
かつしかFMともやの今夜もラブしてるゲスト出演。
周りのミュージシャンや地元の人に、大森で何か音楽シーンが盛り上がる事をやりたい!と、投げかけて協力してもらった事を思い出します。
この年、「大森風に吹かれて」が誕生したばっかりくらいかな?活動の場はまだ無かったと思います。
僕は、音楽をできる環境を大森に!という事で、商店街に駆け寄った覚えがあります。
色んなところから大森にミュージシャンが来てくれた時は嬉しかったです。
ちなみに、このイルミネーションのLiveには、金谷さんにも演奏してもらったんですw
2005年
路上やBar、ショーパブ、居酒屋のお座敷や店頭など、演奏場所を広げる。
横浜BBストリート、渋谷多作、日吉NAPなどオーディションを経て出演。
かざきなおさんに神川圭司氏を紹介してもらえ
ノードラッグキャンペーン渋谷アコースティックLive参加。
初回音源サンプルCDリリース。
これが路上で配った初めてのCD。
ムーブメント的な渋谷の路上でのパフォーマンスが毎日行われていた渋アコ。
この頃から完成されているミュージシャンの中で、僕が参加出来たのも奇跡だし、もう一度やり直しても、あのクオリティーのDai-Go!Lowを出せないと思います。
ほぼ毎晩、家族と一緒に渋谷に行くという、そんなすごい演奏ばかりだったから。
この頃の神川くんや、かざきなおさん始め、みんなが神がかっていた。
今もなお、やり続けている仲間と書いているが、大先輩であり、本来僕なんかが太刀打ち出来ないミュージシャンばかりである。
2004年
3月ステージに立つ。
新大久保CLUB Voice、今は無き原宿REKIOを中心にLive出演。
レインボータウンFMに音源が取り上げられる。
野外イベントに出演するも未熟なコールアンドレスポンスをし、誤解をされてしまい出入り禁止になるネガティブ伝説を作る。
未熟。
この一言につきます。
新大久保CLUB Voiceで外注のPAさんで居た藤本氏の一言「初めてな割には良いじゃん!」
この言葉に勘違いしたからこそ、音楽活動が始まったとも言えます。
とにかく、この年ほど、いろんな人から怒られたことはなかった。
下手だから嫌い。と、まで言われたこともww
でも、何くそ!って頑張った結果、毎月成長していき、段々と形になってきました。
殺伐とした現場を見れたのも良い経験になりました。
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